[人生を誤らないために] 「ごっつぇ~」~無批判で受け入れた洗脳の叫び~

人生を変えたい

「ごっつえ~~」

「んごっつ!えぇ~~!」

「ん”ん”ん”ごっつぅ!! えぇ~~(;´Д`)」



小倉君の真似をして、僕は毎日そう叫び続けた。

中学1年生、野球部の新入部員だった僕と小倉君。

毎日授業が終わると練習着を着て、僕らは校庭に立つ。


そして威勢のいい掛け声をあげるのだ。




「ごっつえ~~!」

「ん”ん”ん”ごっつぅ!! えぇ~~(;´Д`)」




それが「いこーぜぇー!!」という奮起をうながす掛け声だったことを、僕は中学3年、野球部を退部した後に知った。

僕は「ごっつえ~」だと思っていた。



自分ってなんてまぬけなんだ。

真実を知った時、僕は急に恥ずかしくなった。




俺は・・・

俺はなんとまぬけな生き物なのだ・・・



すっごいすっごい、恥ずかしくなった。



いこーぜー!

じゃなくて、

ごっつえぇ~(*´Д`)





穴があったら入りたかった。

思春期という名の人類の発情期に中学受験で男子校に通わされた僕は、

穴があったら、入れたかった。




でももう後戻りはできない。

だって僕はすでに「ごっつえ~」って、言ってしまったのだから。

何百回も、何万回も。

時間は逆戻りできないのだから。





僕はただ、となりの小倉君の真似をしただけだった。

新入部員で唯一、少年野球の経験の無かった僕は、当たり前のように掛け声を上げるみんなの姿を見て、見よう見まねでごっつぇ~と叫んだだけだった。



僕の耳にはそう聞こえたから。

僕一人だけ「いこーぜー」を知らなくて、恥ずかしくてまわりに聞いたりできなかったら。

見よう見まねで頑張ったんだ。



そんな僕の努力の成れの果て、そう。それが


「ん”ん”ん”ごっつぅ!! えぇ~~(;´Д`)」


だった。





自分でも何をやってるのか、どんな意味があるのか、そもそも「ごっつえぇ~」ってなんなのか、よくわからなかった。


「世の中そういうものなのだろう」と思い、「ごっつえ~」を無批判に受け入れ、そして自分も「ごっつえ~」と真似をした。


毎日叫んでいるうちに、何か月か経つともう校庭に立つと反射的に、自動的に、僕は


「ごっつえ~!!」

「ん”ごっつぅ!! えぇ~~(;´Д`)」


と叫んでいた。



僕は、心理学でいうところの「パブロフの犬」になっていたのだ。



そして心理学やコーチングを学ぶ今、「実はこれってかなりヤバいこと」だと僕は知った。



人は、「当たり前」のことを「無批判」に受け入れ、自分の一部にしてしまう。

人は、「お手本っぽい人」のすることを「無批判」に受け入れ、自分も真似をしてしまう。

人は、「権力者」の言うことを「無批判」に受け入れて、人生そういうものだ、と錯覚してしまう。




そして人は、まさか自分がそんなことをしていようとは、自分でも気づいていない。





ごっつえ~だからまだよかった。

小さなころから自動小銃を持たされ、「人生ってこういうもんだ」と無批判に受け入れてしまったアフリカの少年は、果たして敵対部族に一発食らわすときに、

「人を殺すのは悲しい、悪いことなのだ」

と感じるのだろうか。




アフリカの批判をしたいわけじゃない。

ちょっと前までの日本も、ちょっと前までのヨーロッパでも、大して変わらない状況だっただろう。





「本来は正しくないこと」を、自分でもよくわからないうちに「無批判に」受け入れて、自分でも気づかぬうちに、今度は自分が後輩に対して「本来は正しくないこと」を教える立場になっている。

そんなことってあるだろう。




ベルが鳴る、勝手によだれが垂れる。

自分でもなぜよだれが垂れているのかわからない。

もっと言えば、今自分がよだれを垂らしていることにさえ気づいていない。



パブロフの犬だ。





「ごっつえ~」や「自動小銃」と「パブロフの犬」とは、厳密にはちょっと違うんだけど、でもこういう現象を総称して心理学者は「学習」と呼ぶ。


僕のこんなブログにたどり着いたあなたは、きっと本を読む人だ。

毎月読んでいるかもしれないし、毎日読んでいるかもしれない。




尊敬する人物の書いた本を読む。

著者はいろいろな意図でいろいろなことを書く。

僕らは、それが「自分の尊敬する人」の本なので、書かれたことをまるまるそのまま「無批判」で受け入れてしまう。



で、それってヤバいことだ。


僕は今はそう思っている。



本は、「言論の自由」をかなり厳密に厳格に運用しているけっこう珍しい媒体だ。


テレビではおそらく「キチガイ」と言うのはNGだろう。

でも本には「キチガイ」と書いてよい。



テレビは、意図的なウソをついて問題になることも結構あるけど、でもさすがに「100%癌が治る秘密の自己治療法」みたいな放送はご法度だろう。

でも本では「100%癌が治る秘密の自己治療法」について好きなだけ書いて、自由に出版して販売しても問題ない。


それが事実かどうか等、まったく関係なく「言論の自由」だからだ。



元出版社の編集者が直々にそう言っているので、まあそういうことなのだろう。



そして言論の自由の名のもとに著者がいろいろな意図をもって自由に本を書き、そして僕らは「尊敬する大先生」の本だからと、その内容を無批判で、何も考えずにまるまるそのまま受け入れる。




「ごっつぇ~(;´Д`)」




僕らは、知らぬ間に、そんなまぬけな「当たり前」を「当たり前」として受け入れてしまっているのかもしれない。

でも自分自身でそのことには気づかない。




「んごっつ!えぇ~~!」

「ん”ん”ん”ごっつぅ!! えぇ~~(;´Д`)」




毎日ちゃんと叫んでいるのに!!

毎晩かかさず唱えているのに!!!

俺の人生、変わらないじゃないか!!!

アタシの人生、きのうとおんなじじゃないか!!!!




ひょっとすると、そんな経験もあるかもしれない。




「無批判」って、けっこうアブナイ。

けっこう危険だ。



なんでもかんでも頭ごなしに否定するのはくるくるパーだ。

頭カタい人だ。



でも、なんでもかんでも受け入れてしまうのも、やはりくるくるパーなのだ。

でもこっちの怖いところは、自分がくるくるパーであることに、自分でも気づかないし、まわりも何にも言ってくれないところにある。





オウム真理教の人々は、無批判に教祖様の言うことを受け入れてしまった。

麻布を出て、東大を出たような人たちが、尊敬する人の言葉を無批判に受け入れてしまった。

気づいたら、地下鉄に毒ガスをばら撒いていた。

そして、麻布を出て東大を出たような人たちは、地下鉄に毒ガスをばら撒くのが悪いことである、ということさえ、すでに感じなくなっていた。





無批判に受け入れた。





僕の友達を見渡す限り、「頭がいいヤツ」ほど「尊敬する人の言うこと」を無批判に受け入れがちだ。

ある意味オタク化しがちだ。

マニアックなところまで掘り下げて、調べまくる。



オタクならいい。

「ごっつえ~」なら実害はない。




でもそれが実害になってしまうことも、確かにある。

それじゃあ誰も幸せにはならない。

自分も幸せにはならないし、仲間も幸せにはならない。





「ごっつえ~~」

「ん”んごっつぅ!! えぇ~~(;´Д`)」


無批判に受け入れることのヤバさ。


小倉君の真似をして恥ずかしくて恥ずかしくて、穴があったら入りたくて、穴があったら入れたいと感じたあの青春の一頁を思い出し、今僕は痛切に感じるのだ。


小倉君、ありがとう。




人生を変えたい
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