[孤独という悩み] そもそも相談なんて出来ない。だから孤独なのだ。

人生を変えたい

「僕は孤独なんです。」

「わたし、孤独でツラいんです。」



そうハッキリ言えたら誰も苦労しない。

そもそも言う相手がいない。

言う相手がいないこと自体が、そもそも孤独なのである。



そこで僕は考えた。

「人類と出会い、人類と触れ合おう。」



こんにちは、早川です。

先日書いた「孤独死」問題。

あれからも頭の中の奥底でグルグルと考えが続いている。



そして昨日書いた「僕自身が孤独」問題。

あれから風呂に入ってグルグルと考えが続いた。



今年は、「孤独」と「人類」(人間っていうとなんだか面白くないので、僕はあえて人類という言葉を使う)をテーマに進んでいこうと、さっき決めた。

そして今年一年、僕自身が「孤独からの脱出」というテーマで、自分自身を使って「人体実験」していこう、そう決めた。




僕はこれまで「コーチング」なるものを習ってきた。

コーチングとは、平たく言えば



「心と頭のカラクリを(科学的にちゃんと)理解して、自分が成し遂げたいことのために効果的にそのカラクリを活用しよう」


そんな実用的な応用心理学・応用認知科学の一種だ。

一言で言えば「ちゃんとしたマインドの使い方」だ。



で、せっかくこんな実践的なメンタル技術を学んできたのだから、これを「孤独からの脱出」に使っていこう。

そういうことだ。




「奴隷は鎖の大きさを自慢しあう」



という言葉があるけど、ツラい人々は、どうしても「アイツよりも自分のほうがツラい!」と謎の競い合いをはじめてしまいがちだ。

僕もそんな時があった。



でも「状況や立場は違えど、人の苦しみはみな等しく重いものだ」



と体中イレズミだらけの僕の大学の後輩が言っていた。

なかなかいいこと言うな~このイレズミ男は!

23歳の僕はそう感じた。




そんな前置きをもとに、、、僕は現在



家族はいない。

恋人はいない。

同僚はいない。


近所に知人はいない。

ほぼ毎日、誰とも会わない。

誰とも会話しない。


週に言葉を発する時間は、長くて3分。

人肌に触れること等もちろんない。



こんな状況だ。




「ああ、おれって今、けっこう孤独なんだ。。。」



最近気づいた。

もちろん、いままでの人生延々とこの状況だったわけじゃない。

でも現状はこうだ。




「あたしさみしいからさぁ~。」



かつての女性友達の中には、こんなことを言うやつらもいた。

女性は「さみしい」を正しく「さみしい」と感じ、そして「自分はさみしい」と公言し、そして解決に向けてお友達を作っていくという行動につなげていく、

そんなことが「男性と比べて比較的」上手な生き物だ。


だから結果として「孤独死」にはなりづらい。



裏ではブーブー言いながらもママ友を作り、裏ではブーブー言いながらもババ友を作り、井戸端会議に精を出す。

そんなことが「男性と比べて比較的」得意な生き物だ。



そうじゃない女性も知っている。

けど男と比較すると全体的にはそうだ。




じゃあ男はどうだろう?


そもそも

「おれさみしい・・・」


そんな「キショイ」ことを大っぴらに言えるものか。

そう思ってしまいがちだし、そして実際の世の中、そうだ。

なかなか言いづらい。



言いづらいし、「自分がそう感じている」ことそのものを、まず否定してしまいがちだ。


だってそんなカッコ悪い。

そんなキショイ。

そんな男らしくない。



そんなフィルターが真っ先に「さみしい」を心の奥底に引っ込めてしまうから。




男はつらいよ。

寅さんは言う。

しかし、寅さん自身はなんだかんだでたくさんの人に囲まれてよろしくやっている。




じゃあ俺は寅さんか?

俺は寅さんと同じ視点から「男はつらいよ」とのたまうことかなうのか。


いいえかないません。

いいえのためえません。


だってあなたは、寅さんじゃないから。

僕も、寅さんじゃないから。




僕は「一緒にいてあまり意義を感じない」と感じる人たちとはつるまないように人生を送ってきた。

まあ当然と言えば当然だけど、たとえば、且つて派遣社員だったころは、職場の女性に



「あら新人の早川さん!早川さんってお酒とか飲みますか~?」

と言われたとき、僕は

「飲むと言えば飲む。しかし飲まないと言えば飲まないのですが、なにか?」


と答えていた。



「早川さん、お休みの日は何をしてるんですか?」

と聞かれれば、

「座ってます。」

と答えていた。




要するに、相手がわざわざ好意的にお誘いをしてきてくれても、僕は興味の無い相手には意図的に限りなく無愛想に接し、間接的にお断りしてきた。

こうして意義を感じない関係性は一切作ってこなかった。



そして、それでよかったと思っている。



時間を無駄にせずに済んだ。

一見ただの「イヤなヤツ」だ。


でも当時の僕には「ミッション」があった。




そして自由な時間はすべてこの「ミッション」のために使いたかった。

だから「ミッション」に関係ない人々と関わっている時間などなかった。



ミッションと言っても、別に宗教活動をしていたわけでも慈善活動をしていたわけでもなく、ただボイストレーニングをして、ギターの練習をして、作曲をして、レコーディングしたかった。

それが当時の僕のミッションだった。




そしてミッションがミッションで無くなった時、僕は気づくと孤独だった。



ミッション仲間はいた。

だが、ミッションがミッションで無くなった時、ミッション仲間はもう仲間ではなかった。




38年生きた今、僕はだい~ぶマイルドな人間になった。

「お休みの日は何してるんですか?」

と聞かれて、

「座ってます。」

とはもう答えなくなった。




が、本質的に興味の無い人間、ミッションの異なる人間とは、いまだに付き合いたいとは思ってないし、おそらく付き合ってもお互いつまらないし有意義でない。



孤独という「結果」は、つまりミッション(の不在)という「原因」が生んでいるものだ。



僕は今、そう思っている。



「座ってます。」から早6年。

去年までの自分には、あまりミッションが無かった。



4年間くらいは、「お金をなんとかする」のがミッションだった。

その中で「お金をなんとかしたい人達」との交流があった。



でも、金の切れ目が縁の切れ目。

言い得て妙だ。



「同じミッションを共有する仲間」ではなくなった今、彼らとはほとんど交流はないし、ほとんどの彼らとは交流したいと感じない。

僕は、気づいてしまった。

人類とは、つまりミッションありきなのだと。




少なくとも僕にとってはそうだし、おそらく、そうであったほうが有意義な人間関係が出来ると僕は思う。


安酒場に夜な夜な集まり、それぞれ会社や家族の悪口を言い合い、ひとしきり安酒を浴びた後、みんあでゾロゾロと安いピンサロに突入し、事情ある女性達にお世話をしてもらう。


そんな仲間は、あまり意味のある仲間だと、少なくとも僕は思わない。


孤独とは、それ自体を解決するものではなくて、ミッションをもって初めて解決できるものだ。




傷を舐め合うだけのために集まった仲間。

家に帰れば虚しくなる。

次の日も虚しく。

その次の日も虚無感に覆われるだけ。

「今の苦しさを強引に埋め合わせよう」というだけの仲間だから。




ミッションのもとに集まった仲間。

こっちはもっと面白い。

もっと楽しいし、「これから」の話で盛り上がる。

「未来」を一緒に作っていく仲間だから。



僕はそう思う。

次回は、ミッションについて、あなたと一緒にもうちょっと深く考えてみたい。



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