[人生を変えたい] 「そうなんですか」を辞めない限り、人生は変わらない。

人生を変えたい

「おい東洋人の黄色い人!これは鉄砲だ!すごいだろ!」

「へ~、そうなんですか。じゃあ1万丁ください。」


「おい東洋のアジア人!これが民主主義だ!カッコイイだろ!」

「へ~、そうなんですか。じゃあ日本も今日から民主主義になります。」


「おい黄色人種の島国民族!これが原発だ!欲しいだろ!」

「へ~、そうなんですか。じゃあ今日からウチも原発で行きます。」


「おい!そうなんですかでお馴染みの日本人!これが核家族だ!最高だろ!」

「へ~、そうなんですか。じゃあウチでも今日から核家族始めます。」




「おい国民!これが新しいルールだ!道でタバコを吸うと罰金を取る!」

「へ~、そうなんですか。じゃあ今日から道でタバコ吸ってるヤツいたら怒鳴りつけます。」




儚くも切ない思考停止民族。

そう、それが僕たち日本人だ。



上から言われれば「そうなんですか。」と全て受け入れ、

下から言われれば「世の中そう決まっているのだ!」と怒鳴り散らし、

上手くいかなければ「お上と政治と世の中と他人」のセイにして、

にっちもさっちも行かなくなれば、会ったこともない「韓国人と中国人」のセイにして、


結局自分では何一つ考えていない。



悲しくも切なき阿呆民族。

そう、それが僕たち日本人だ。



美しい国。

そう、脳天お花畑の美しい島国。

そう、それが僕らの暮らす日本という国だ。




ということを全て正しく認識できると、


「人生がツラい。」

「人生つまらない。」

「生きているのが苦しい。」


「先が見えない。」

「孤独でさみしい。」

「将来に期待が持てない。」


そんな人が日に日に増えている現在の状況は、


当然


だと言える。




そしてそんな負の感情が増殖してしまうというのはある意味


心がちゃんとまだ生きてる


証拠だと思う。





心の中まで死んでしまった人は、何も感じないんだから。

疑問すら持たないんだから。

ツラくてもツラいって感じることさえもないんだから。




だから、ツラい人は、マルバツの好きな僕ら日本人的な表現で言えば、ある意味「合ってる」人だ。

「正しい」人だ。

「マトモな」人だ。



という前提で考えると、つまりこういうことだ。




合っていて、正しくて、マトモであればあるほど「生きづらい」。

そして間違っていて、マトモで無ければ無いほど「生き易い」。



だからこそ、間違っていて、マトモで無い人をつい

非難したり

批判したり

ヤフーニュースのコメント欄に悪口を書いて喜んだり


したくなってしまう気持ちもわかる。

気持ちはわかるけど、でもそんなことをしたところで


「何も解決しない」


ということもわかる。





生きづらいと感じるカナダ人やジンバブエ人が、どうやって解決したらいいのかを、僕は知らない。

僕はカナダ人やジンバブエ人ではないから。



でも日本人である僕は、生きづらいと感じる日本人がその生きづらさをどうやって解決したらいいのかの答えを一つだけ知っている。

それは、



「そうなんですか」を辞めて、「自分の頭で考える」こと。



なんでもかんでも否定すれば良い、というのは違う。

否定も肯定もせず、まずは「自分の頭が考える」こと。



考えれば、考えが浮かぶ。



「何を当たり前のことを言ってるんだ?」

そう思うかもしれない。



でも「考えてないから考えが浮かばない」からこそ、

韓国人や中国人の悪口を言って喜んでいるような人になってしまうわけだ。



別に韓国人や中国人でなくてもいい。

政治家。

芸能人。

官僚。

会社の役員。



こうした人たちを批判してみたところで、人は幸せにはならない。

当たり前だよね。


でも当たり前なのに、「考えてない」からつい反射的に「誰かのセイ」にしてしまう。

反射的な反応には、思考を必要としない。



「パブロフの犬」だ。



とすれば、日本人の大多数が「パブロフの犬」になってしまっている。



僕らは犬じゃない。

犬はかわいいけど、

でも僕らは犬じゃない。



犬じゃないし、犬であってはいけない。

しかも「パブロフの犬」になんて絶対になってはいけない。


なってはいけないのに、なっている。





はるか昔から「あ~そうなんですか」と言い、思考停止状態で上から言われたことをすべて無批判で鵜呑みにし、

その結果として今、現在、この瞬間、

僕らは「強烈な生きづらさ」を感じながら生きている。




「大いなる違和感」を感じずにはいられない世の中を、仕方なく生きている。





韓国人や中国人のセイにして、生きている。





僕はカナダ人やジンバブエ人ではないので知らない。

知らないけどおそらく、こうした現在の日本人の姿を見て、多くのカナダ人やジンバブエ人はこう言うだろう。


「アタマ、ダイジョウブデスカ?」



そう。頭、大丈夫ではないのだ。

大丈夫でないからこそ、大丈夫になりたいのであれば「治さないと」いけないわけだ。



それは心療内科にうつ病の薬を処方してもらっても治らないわけだ。

うつ病の薬はそもそも「治す」薬ではなく「本当は感じている違和感を感じないように麻痺させる」薬だ。



別にそれがいいのであればそれでいいと思う。

僕の知り合いにもたくさんいる。

入院してしまった人もいる。




別にそれがいいのであればそれでいいと思う。

でも僕はそれでいいとは思わない。

もっと「根本的に」解決したいと思っている。




そして根本的な解決に向けての一つの方法として、

「そうなんですか。」を辞めることが大切だと思う。




もっとカッコイイ言葉で言えば、もっともらしい立場の人間がもっともらしく伝えてくるものを


無批判で受け入れる


ことを辞めることが、まず最初の第一歩だと思う。

何に向けての第一歩かと言えば、「生きづらい、苦しい人生」を辞めるための第一歩だ。





日本人にも脳みそはある。

しかし日本人はこの脳みそを「暗記」以外に使っていない。



暗記するからいけないのだ。

暗記などしなくていいので、「考える」ことに使うのだ。




考えれば、考えが浮かぶ。

考えないから、考えが浮かばない。




そして何も考えが浮かばないので、苦しさを脱するための考えも、もちろん浮かばない。





思考が停止している状態では、小手先の成功法則をどれだけ試してみたところで、

根本的な解決には繋がらない。




思考は暗記じゃない。

思考は「合っている」とか「間違っている」とか、そういうんじゃない。



思考は、思考だ。

そして思考は「考え」だ。



考えるから考えが浮かぶ。

人生を変えたいのであれば、人生を変えるために考える。

人生を変えるために考えるので、人生を変えるための考えが浮かぶ。


変わるに決まってるじゃないか。

だって考えが浮かんだんだから。




「そうなんですか。」を辞めてこそ、自分自身で自分自身の人生を変えられる。

「そうなんですか。」さえ辞めれば、自分で考えることができる。

自分で考えるんだから、自分の考えが浮かぶ。



無批判で受け入れた「人生の変え方はこれ!」ではなく、

自分自身で一生懸命考えた、自分自身のアイデアを使えるようになる。




そしたら人生変わるに決まってんじゃん。

そういうことだ。




だから、僕のこのブログを読んで「そうなんですか。」なんて言ってほしくない。

「てめぇ~!クッソ~!むかつくんだよゴルァ~!」


でもいいので、あなたが「考えて」くれたら、僕はうれしい。

ただそれだけだ。




あなたは今週、何回「そうなんですか。」と思いましたか?


それって、ヤバくないですか?




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