内側の、本当の自分を理解してもらえない孤独感~本当はそんな私ではないのに

【読者投稿】孤独の悩み体験談

こんにちは、早川です。

今回は、30代女性からいただいた孤独の悩みエピソードです。


温かな思いを持てない自分での葛藤



 看護師として働き始めて、10年ほどになります。

 資格を取るため通った学校の同級生、仕事で関わった様々な患者さんやご家族、そしてスタッフの方々と接する中で、私はこのような思いに苛まれるようになりました。

 「なぜ周囲の方々が仕事や家族などへよせている温かな思いを、自分はなかなか、いや、ほとんど持つことができないのか」と。


こんなことを考える自分にゾッとします



 学生時代から、そして働くようになった今でも、周囲の「こんな看護師になりたい」「こういう勉強をして、こんな人を助けたい」という声をよく聞いてきました。

実習や仕事で出会った患者さんのご家族は、それぞれ事情は違えど、家族のことを思って介護やお世話をしていらっしゃいました。

 そんな場面に触れるたび、私の胸に浮かぶのは「みんな、やる気があってすごいなあ…」と、傍観するような気持ちです。

同時にそんなことを考える自分にゾッとします。

傍観しているということは、自分にはそんな思いがないということだ。

ということは、人を慈しむ気持ちが私にはないのか?

看護は人を多角的に見つめ、対象の生活が少しでも良くなるよう援助する仕事だというのに?

 そんな思いを抱えたまま働き続けていますが、年々、そんな自分に苦しめられるようになっています。


焦燥にも似た義務感



 手前味噌ですが、仕事は「できる」方だ、とのお言葉をいただいたことは何度もあります。

患者さんから「(スタッフの中で)あなたが一番いい」と言っていただいたこともあります。

しかし、その度に、自分にはそんなことを言っていただく資格はないのでは、と思いながら、黙って笑顔を作ります。

 私が仕事を頑張るのは、まずは自分の生活、つまりお金を稼ぐため。

そして「資格を持って仕事をしているのだから、責任を持って遂行しなければ」という、焦燥にも似た義務感のためです。

温かな気持ち、例えば「患者さんのためになりたい」と話す同僚のそれや、「こうすればあの人は喜ぶから」とお世話をしてあげるご家族のそれとは別物です。


本当の私はそんな人間ではないのに・・・



 もちろん、看護師の中には、仕事は仕事と割り切っている方もいますし、責任を果たしていれば個人の感じ方は自由だと私は思います。

しかし、どうやら周囲から見ると、そういう考え方と私がどうしても結びつかないようです。

 同級生や同僚から「仕事頑張ってるね、患者さん思いだね」と言われることも多くあります。

その度、私はそんな人間ではないのに、と苦しい思いを抱えます。

それをぽろっとこぼしてみたこともありますが、「そんなことないよ!あなたはそんな人間じゃない」と驚いたように否定されることがほとんどであり、恐ろしくてその思いは外に出さないようになりました。


周りには誰も信じてくれる人はいません



温かな思いを持つ人から見たら、私のようなものは、冷淡で愛情のない、看護師としては異端の人間のように映るのかもしれません。

そして、そんなイメージは周囲から見た「私」とはそぐわないのでしょう。

 思えば私は小さい頃から、周囲の不和を避けようと、自分を抑えて他人のために動くことが多い人間でした。

それは愛情や慈しみの心からではなく、不和が訪れることへの恐怖心や、そのような事態を起こしそうになる周囲への諦念からくるものです。

しかし、周囲のためにと頑張れば頑張るほど、そうやって立ち回る外側の自分のイメージと、内側の自分、つまり自分の本来の思いとのギャップに苦しむことが多くなってきました。


外側の自分と内側の自分とのギャップに苦しむ



 しかし、それを吐露しても、周りには誰も信じてくれる人はいません。

なぜなら私はいつでも他人のために動く、善良で優しい人間であるから、そうあってほしいから、です。もちろん、周囲にとっては、ですが。

 内側の自分を理解してもらえないこと。

それを理解してもらおうと開示したところで、より周囲から疎外されてしまうのではないかということ。そんな孤独感を抱えながら、今日も私は働いています。


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